2006年11月03日
北京から上海へ

北京~上海間は13時間ほど。
特急に乗って向かいますよ。

沢山の方がいました。
とにかく人が多い、いつもいっぱいなのでチケット押さえるのが非常に大変です。

今回乗ったのはちょっとよさげな車両です。
寝台は高かったのでこちらにしました。
でも十分ですよねー。

皆さんわさわさとしています。
これから上海に向かいます。
2006年11月02日
北京駅

こちら北京駅です、北京から上海へ移動する時に立ち寄りました
とっても大きな駅なんですよ。
周りには移動を控えた人が沢山います。
しかし。。。

どうも道の真ん中で寝れる中国人の感性がわかりません(^^;
どれだけ真ん中かというと。。

・・・ど真ん中ですよね。
ほんとに。。

駅構内も人でにぎわっています。
沢山の方々がいますた。


何もかもでかい、それが中国風なのでしょう。

こちらは中国のインターネットカフェです。
中国ではネットカフェが普及しているので、
かなり多くの人が利用していました。
中国、変ってきています。
2006年11月01日
北京 天安門

天安門はやっぱりいつも人でいっぱいです。

とにかくですね、でかい。
なんでそんなにでかいのか、不思議ですよ。
中華ですね。

中国全土から沢山の人がでてきますので、
イロイロな言葉が聞こえてきます。

もちろん外人の観光客の方も多いですよー。
どうやら疲れたみたいなので、ゆっくりと休んでいました。

この先が紫禁城です。時間が無くて入りませんでしたが、
これもめちゃでかい城ですよー。
2006年11月01日
北京 瑠璃廠(リュウリーチャン)

古い町並みが残る北京の瑠璃廠(リュウリーチャン)です。

下町かつ、イロイロな古美術品が売られていて
気を抜くとぼったくりもあります。
いいものもありますけどね。

お店の人と子供と。
なんだかほのぼのとしている風景です。

日が暮れてきていますので、人が少ないですね。
2006年11月01日
2006年10月26日
北京地下のスケートリンク

北京のゴウマオという場所の地下にスケートリンクをみつけた。
中国の意図ってのは本当にわからない、
ある意味めちゃくちゃなのかもしれない。

スケートリンクでは子供達が指導員から指導を受けて、
フィギアスケートのようにクルクルとまわっていたりしていた。
まだ小さい子はここから世界をめざすのだろうか?
親御さんたちはあたたかい目で見守っていた。

地下街のようなところにスケートリンクを作る発想。
夏だっだが、それはとても涼しかった。
不思議だよ。中国
2006年10月25日
北京KFC

北京に着てまでたべるほどでもないのだが、
ちょっと好奇心で立ち寄ってみた。
店内は日本とまったくおなじ、ファーストフードだ、
ここにもグローバルスタンダードの脅威を感じる。

中国人は鳥肉が好きだ。
だからケンタッキーも連日大混雑。
今日はすでにコーラは売り切れです
といわれたので、ありえないなぁとおもいながらオレンジを注文
もちろんバーガーはうまかった。
2006年10月24日
2006年10月23日
変貌した秀水街
秀水街とは僕が昔北京にすんでいたころは
大使館街の近くにあるちょっとした市場だった。
しかし今回あらためておとづれるととてもびっくりした。

秀水街という市場が全て一つの建物なかにおさまっていたのだ。
以前とはまったく違う、わずか5年で驚くような変貌ぶりだ。

その中では中国のブランドものからどこから出てきているのかよくわからないものまで
じつに様々なモノが売られている。

お客さんも外国人から地元の人間までかなりの人がいるようだ。
そこでおもったのがやはりものの豊富さ。
以前は品質の怪しいものばかりだったのだがいまでは
いいものまで売っている。

またとある回では宝石から真珠までなんでも揃っている所もあった。
あまりの数の多さにいったい何を基準に客はえらんでいるのだろうと不思議になる。

さらには電化製品からサングラス、時計までありとあらゆるものが揃っている様子だ。
ぼくは200元と吹っかけられてた服を80元に値切り、秀水街を去った。
もうちょっと値切れたはず!とおもいながらも。。。
大使館街の近くにあるちょっとした市場だった。
しかし今回あらためておとづれるととてもびっくりした。

秀水街という市場が全て一つの建物なかにおさまっていたのだ。
以前とはまったく違う、わずか5年で驚くような変貌ぶりだ。

その中では中国のブランドものからどこから出てきているのかよくわからないものまで
じつに様々なモノが売られている。

お客さんも外国人から地元の人間までかなりの人がいるようだ。
そこでおもったのがやはりものの豊富さ。
以前は品質の怪しいものばかりだったのだがいまでは
いいものまで売っている。

またとある回では宝石から真珠までなんでも揃っている所もあった。
あまりの数の多さにいったい何を基準に客はえらんでいるのだろうと不思議になる。

さらには電化製品からサングラス、時計までありとあらゆるものが揃っている様子だ。
ぼくは200元と吹っかけられてた服を80元に値切り、秀水街を去った。
もうちょっと値切れたはず!とおもいながらも。。。
2006年10月22日
2006年10月21日
北京のスタバふたたび

北京についたあとはやっぱりスタバに足を運びました。
どこにいってもスタバはあるので便利かもね。

店内等は日本とほぼおなじ。
むしろひろいぐらいではないでしょうか。
色々なデパートなどに入っています。

そして同じなのはこちらの袋
こういうのってアメリカでも同じなのかな?
なんて思う今日この頃です。
しかし、グローバルスタンダードとは恐ろしい。

もちろん飲むのはカプチーノ。これであさはゆっくりすごします(^^)
2006年06月15日
南への旅 上海の外灘

上海でも特に人が集まる場所それが外灘だとおもう、
それは観光地として人が集まる場所だと思ってみてくれたほうがいいかもしれない。
特に連休だったので、中国全土からさまざまな観光客がおとずれており、
文字通り人だらけとなっていた。
その中でもなぜか日本語で声を掛けられる事がおおかった。
色々な旅行情報誌をみていると、上海の外灘で日本語でしゃべりかけられて、
その後結構痛い目にあったという体験談が多くよせられていた。
だから声を掛けられたときに、あぁこいつらだな。
とわかった。まず中国で中国人に日本語で声をかけられるなど、
普通ではありえないのだから。
とりあえず聞こえないフリをして通り過ぎる。
特に人がおおかったので、問題はおこらなかった。
この上海は第二大戦中から東洋の魔都とも呼ばれる地域だったらしい。
外灘は特に欧米人が多くすんでいて、その町並みもどこかヨーロッパじみている。
目の前にある海の対岸にはなんだか奇妙な未来都市を想像させる建物が建っていた.

それがはたして現実的になんのメリットがあるのか全くわからなかったが、
海に映る町の光と
沢山の人々が入り混じる空間
人々のざわめき、
どれをとっても面白く僕の目にはうつった。
そしてやはり人が多いと様々な人間が居る事が判る。
明らかに旅行中の日本人団体客
中国の地方からやってきたであろう集団、
盲目の物乞い、
子供をつかって観光客の注意を引き、物を売ろうとする人、
子どもの物乞い、
なんだろう、そこには圧倒的な「格差」があった。
日本でもホームレスと普通の人がいるだろう、
そういう人もいるかもしれないのだが、それとは全く違う、
そうまったく超える事の出来ない「格差」がそこにはあるのだ。
日本っていう社会は多分ココまでの格差はない。
ホームレスの人だって頑張れば不通の生活に戻れるのだ。
しかし、ここでは恐らくもどれないだろう、
もうそのように一生生きていくのだろうと思わざるをえない人々だったのだ。
楽しく笑いながらきれいな服を着て観光をする人々
くぼんでうつろな目をしながら力なく前に手を差し出す人々
それがそこに同時に存在することがやっぱり不思議だった。
2006年06月14日
南への旅 上海散策
上海にきて、とっても嬉しいのが、ご飯がおいしいという事だった。
もちろん他の地域もわるくないのだが、
上海料理は日本人の口にあうと僕は思う。
特に僕の好きなワンタンやシュウマイなどがとってもうまい。
道端にある屋台などに座ってみても、
それがとってもおいしいのだ。
それから上海には北京には存在しないコンビニがあった。
それだけでっもやはり北京よりも近代化が進んでいる証拠なのではないかとおもう。
基本一人でご飯を食べるのであまり贅沢できないのだが、
やっぱり普通のご飯を食べるにしても
上手いものをたべれるのが嬉しい限りだった。
もちろん他の地域もわるくないのだが、
上海料理は日本人の口にあうと僕は思う。
特に僕の好きなワンタンやシュウマイなどがとってもうまい。
道端にある屋台などに座ってみても、
それがとってもおいしいのだ。
それから上海には北京には存在しないコンビニがあった。
それだけでっもやはり北京よりも近代化が進んでいる証拠なのではないかとおもう。
基本一人でご飯を食べるのであまり贅沢できないのだが、
やっぱり普通のご飯を食べるにしても
上手いものをたべれるのが嬉しい限りだった。
2006年06月13日
南への旅 上海の博物館
宿泊場所がきまってからは、荷物をその部屋に投げ込んで早速上海見物に出かけた。
先ず最初に足を運んだところは、上海博物館だった。
なぜ博物館へ足を運んだのかと言うと、
博物館は文化が詰まっているところ
だと思ったからだ、特にそのことを勉強しているわけではないんだが、
上海のことをしるのならまずそこへ行く事だろうとおもって。
上海の博物館は北京の博物館よりも一層近代的な建物だった。
ココに上海と北京の考え方の違いが既にあるのではないかと思う。
北京は恐らく歴史的であり、上海は近代的だという事だ。
博物館のなかはそれは古い水墨画から陶磁器まで見ていて飽きない、
質の高いものが数多く展示されていた。
そこらへんは素人目からすべばだが、やはりどれも面白い。
特に上海からさらに南にある景徳鎮とういう陶磁器の街が
はるか昔から清算している陶磁器の数々に目が行った。
それはうちの親父が陶芸家という事が大きい、
これでも子供の頃から陶器をぼちぼち身ながら育っている。
親の仕事に興味のない子供などいないだろう、、
その中で昔に聞いたのは
親父が目を養ったのが東京の国立博物館の陶器たちだと言ったところからだ、
だから自分もしっかりはわからずとも、そのいいものを体感する事が出来るのではないかとおもい、
それでこの博物館におとずれたのだ。
そして図らずとも景徳鎮とう場所でつくられた陶器を見る事ができた。
そしたら後は簡単だ、この旅で景徳鎮まで行くという事を決めた。
実際どんなところでどんな風につくられているのか、
それは見る事ができるかなんてわからないが、行ってみる事が重要だとおもったのだ。
先ず最初に足を運んだところは、上海博物館だった。
なぜ博物館へ足を運んだのかと言うと、
博物館は文化が詰まっているところ
だと思ったからだ、特にそのことを勉強しているわけではないんだが、
上海のことをしるのならまずそこへ行く事だろうとおもって。
上海の博物館は北京の博物館よりも一層近代的な建物だった。
ココに上海と北京の考え方の違いが既にあるのではないかと思う。
北京は恐らく歴史的であり、上海は近代的だという事だ。
博物館のなかはそれは古い水墨画から陶磁器まで見ていて飽きない、
質の高いものが数多く展示されていた。
そこらへんは素人目からすべばだが、やはりどれも面白い。
特に上海からさらに南にある景徳鎮とういう陶磁器の街が
はるか昔から清算している陶磁器の数々に目が行った。
それはうちの親父が陶芸家という事が大きい、
これでも子供の頃から陶器をぼちぼち身ながら育っている。
親の仕事に興味のない子供などいないだろう、、
その中で昔に聞いたのは
親父が目を養ったのが東京の国立博物館の陶器たちだと言ったところからだ、
だから自分もしっかりはわからずとも、そのいいものを体感する事が出来るのではないかとおもい、
それでこの博物館におとずれたのだ。
そして図らずとも景徳鎮とう場所でつくられた陶器を見る事ができた。
そしたら後は簡単だ、この旅で景徳鎮まで行くという事を決めた。
実際どんなところでどんな風につくられているのか、
それは見る事ができるかなんてわからないが、行ってみる事が重要だとおもったのだ。
2006年06月11日
南への旅 上海の雑踏
早朝、上海駅に電車が到着した。
それはまだ夜も明けきらぬ朝。
5月前半とはいえまだ少し寒さを覚えた。
上海駅に着く前に周りがざわめきはじめているので目がさめた
窓の外の景色は既に都会のビルに囲まれている状態だった。
駅に着いてからはまだ眠いのと、土地観が全くないという事で、
とりあえず朝がくるまでベンチで寝る事にした。
早朝ながら上海駅は人が多く、まさに雑踏だった。
朝が訪れて日が昇ってくると、とりあえず宿を探しに外灘近くへ足をすすめた。
確かその近くにバックパッカーがよく宿泊しているドミトリーがあると聞いていたからだ。
しかし、実際言ってみるとそのときは日本でもゴールデンウィークとかさなっていたせいなのか
いっぱいで止まれる状況ではなかった。
とりあえず困った。上海の情報はそのホテルを知っているだけで
その他は全くといっていいほどなにもしらなかったのだ。
しかも雨がぱらつく天気。
荷物はそんなに多くないが、まずは寝場所をさがさないといけないのだ。。
そこで。。考えたのが招待所に止まるという事だった。
しかし、中国では外国人は招待所に止まれないという噂を聞いていた。
とりあえず駄目元で中国人になりすまし、
適当な招待所に言って話をしてみた。
すると以外にも問題無くとまれて、身元の証明とかもなかったのですんなりと止まる事ができた。
これがとってもありがたかった。招待所は前出のドミトリーの約半分の値段で
宿泊する事ができたからだ。
それは単純に上海での滞在期間を長くする事が出来ると言う意味でもある。
上海はやはり中国の中でも物価の高い街なので、
なるべく安くあげられるのでれあばそれほどありがたい事はない。
僕の予算は一万しかないのだから。
それはまだ夜も明けきらぬ朝。
5月前半とはいえまだ少し寒さを覚えた。
上海駅に着く前に周りがざわめきはじめているので目がさめた
窓の外の景色は既に都会のビルに囲まれている状態だった。
駅に着いてからはまだ眠いのと、土地観が全くないという事で、
とりあえず朝がくるまでベンチで寝る事にした。
早朝ながら上海駅は人が多く、まさに雑踏だった。
朝が訪れて日が昇ってくると、とりあえず宿を探しに外灘近くへ足をすすめた。
確かその近くにバックパッカーがよく宿泊しているドミトリーがあると聞いていたからだ。
しかし、実際言ってみるとそのときは日本でもゴールデンウィークとかさなっていたせいなのか
いっぱいで止まれる状況ではなかった。
とりあえず困った。上海の情報はそのホテルを知っているだけで
その他は全くといっていいほどなにもしらなかったのだ。
しかも雨がぱらつく天気。
荷物はそんなに多くないが、まずは寝場所をさがさないといけないのだ。。
そこで。。考えたのが招待所に止まるという事だった。
しかし、中国では外国人は招待所に止まれないという噂を聞いていた。
とりあえず駄目元で中国人になりすまし、
適当な招待所に言って話をしてみた。
すると以外にも問題無くとまれて、身元の証明とかもなかったのですんなりと止まる事ができた。
これがとってもありがたかった。招待所は前出のドミトリーの約半分の値段で
宿泊する事ができたからだ。
それは単純に上海での滞在期間を長くする事が出来ると言う意味でもある。
上海はやはり中国の中でも物価の高い街なので、
なるべく安くあげられるのでれあばそれほどありがたい事はない。
僕の予算は一万しかないのだから。
2006年06月11日
南への旅 上海行き夜行列車 24時
電車の中は既にかなりの人が乗っていた。
しかしながら座れないわけではなかったので、空いている席に乗り込む。
そこで驚いたのは比較的にみんな格好がきれいだったという事だった。
中国の地方から電車にのると農民の方々が沢山いたりして、
実際は結構ありえない形で乗り込んでいるのだ。
しかしその風景もまた日本では絶対に無いものなので
興味深く観察していたりするのだが
今回の電車に乗り込んでいるのは比較的キレイな格好をした人々ばかりだった。
そんな中すこしぼーとしていると話掛けられた、
その人はちゃんとしたスーツを着ており、話し方から察するにビジネスマン的な人だった。
そこでちょこちょこまだ流暢とはいえない中国語で会話していると、
やはり何かちがうなぁと感じたらしく、
どこの人??
と聞かれた、さぁ、そこで困ったものだ。
中国という土地柄、共産党の政策で日本人を嫌いになるような教育を
民間の人にはしているのである。
だから、この周りが中国人のなかで 日本人だと告げるのはあんまりいい状況ではない。
しかし、、この人がビジネスマンである事を年頭に、
日本から北京に留学している日本人です。
と答えた、
すると。。。
案の定、周りの人も聞き耳をたてていたのか、
え?日本人??
みたいにざわつきが近くで起こった、
まぁ、中央民族大学に留学しているんです、
民族とかにッ興味があって。
とりあえず、そんな事をいってみた、
すると周りの人も興味を持っていろいろと質問とかを投げかけてきた。。
中国語は話せるの?
どれぐらい勉強したんだ?
俺達の話のどれぐらい聞き取れる?
ただ勉強しにきたのか?
今の日本の景気はどうだ?
中国人をどう思う?
などなど、興味本位でいろんな事が飛んでくる。
僕自身その時はまだ中国に留学して1年も立たないぐらいだったので、
その人たちの会話自体は半分ぐらいしかききとれなかったので、
とりあえず、半分ぐらいしか聞き取れんのでゆっくりはなしてください
とかいいながら会話をしていた。
ここで多分回りの人たちの教育水準がひくかったら、
やれ戦争の話やら日本人はひどいい事をしてくれたんだぞ!
とかなるんだけれども、今回の人々は
身なりがきれい=恐らく教育水準が高い=外の世界に興味がる
という層の人々だったのでまだまだ話ができてほっとした。
あまり助けのない状況でいろいろと攻め立てられたらかなり困るのだ。。
多少なり突っ込みもあったが、
その頃の時代の事はわからない、これから中国とは仲良くしていきたい。
みたいな事を言ってちょいにげした。
でも結構回りの人はいい人たちだったので、
お土産とかちょこちょこいただきながらその夜は更けていった。
しかしながら座れないわけではなかったので、空いている席に乗り込む。
そこで驚いたのは比較的にみんな格好がきれいだったという事だった。
中国の地方から電車にのると農民の方々が沢山いたりして、
実際は結構ありえない形で乗り込んでいるのだ。
しかしその風景もまた日本では絶対に無いものなので
興味深く観察していたりするのだが
今回の電車に乗り込んでいるのは比較的キレイな格好をした人々ばかりだった。
そんな中すこしぼーとしていると話掛けられた、
その人はちゃんとしたスーツを着ており、話し方から察するにビジネスマン的な人だった。
そこでちょこちょこまだ流暢とはいえない中国語で会話していると、
やはり何かちがうなぁと感じたらしく、
どこの人??
と聞かれた、さぁ、そこで困ったものだ。
中国という土地柄、共産党の政策で日本人を嫌いになるような教育を
民間の人にはしているのである。
だから、この周りが中国人のなかで 日本人だと告げるのはあんまりいい状況ではない。
しかし、、この人がビジネスマンである事を年頭に、
日本から北京に留学している日本人です。
と答えた、
すると。。。
案の定、周りの人も聞き耳をたてていたのか、
え?日本人??
みたいにざわつきが近くで起こった、
まぁ、中央民族大学に留学しているんです、
民族とかにッ興味があって。
とりあえず、そんな事をいってみた、
すると周りの人も興味を持っていろいろと質問とかを投げかけてきた。。
中国語は話せるの?
どれぐらい勉強したんだ?
俺達の話のどれぐらい聞き取れる?
ただ勉強しにきたのか?
今の日本の景気はどうだ?
中国人をどう思う?
などなど、興味本位でいろんな事が飛んでくる。
僕自身その時はまだ中国に留学して1年も立たないぐらいだったので、
その人たちの会話自体は半分ぐらいしかききとれなかったので、
とりあえず、半分ぐらいしか聞き取れんのでゆっくりはなしてください
とかいいながら会話をしていた。
ここで多分回りの人たちの教育水準がひくかったら、
やれ戦争の話やら日本人はひどいい事をしてくれたんだぞ!
とかなるんだけれども、今回の人々は
身なりがきれい=恐らく教育水準が高い=外の世界に興味がる
という層の人々だったのでまだまだ話ができてほっとした。
あまり助けのない状況でいろいろと攻め立てられたらかなり困るのだ。。
多少なり突っ込みもあったが、
その頃の時代の事はわからない、これから中国とは仲良くしていきたい。
みたいな事を言ってちょいにげした。
でも結構回りの人はいい人たちだったので、
お土産とかちょこちょこいただきながらその夜は更けていった。
2006年06月10日
南への旅 移動する
お昼になり、従業員が突然入ってきた。
まだベットにいて横になっていた僕はびっくりして、起きた
するとその子は突然掃除を始めたのだ。
中国はおかまいなし、だな。
そう思ってまぁいいやと顔を洗い目を覚ました。
曲阜は既にあらかたまわったので、今日は夕方にでも次の街へ移動しようとおもっていたのだ。
昨日の子が気になったが、それはまた学校に戻れば合えるので先に進む事にした。
しかし行き先はまだ決めていない、
とりあえず宿をチェックインする。
その足でバスターミナルへ移動した。
今は山東省なので、そこからどこに行くにもとりあえず便利そうだった。
とにかく南へ、
そう思ったとき、上海行きの電車がいいタイミングであるのを見つけた。
そう、夜行であるので、一泊浮かす事ができる。
上海はまだ行った事がなかった。
北京より都会である、とかTVでは見た事あるが、
やはりその熱気などは実際に言ってみないとわからない。
そう決めると駅へ方向転換し、チケットを買った。
中国列車の座席は日本とは全く違う次元にあると言っても過言ではないと思う。
だけどそれもまたおもしろみがあるので、一度は体験してほしい。
その日は夜になるまで曲阜を歩き、上海行きの電車へ乗り込んだ。
2006年06月10日
南への旅 朝を迎えて
東の空が明るくなり初め、道路にはいつの間にか人々が屋台を引いて集まってきていた
道端で目を覚ましたとき、
なんて朝が早いんだろう。
そう思った。
昨日は女の子を無事宿に届けてから宿に戻った。
しかし宿は閉まっていていくらドアを叩いても人はでてこない。
ならまあいいか
そう思って宿の壁にもたれながらさっきの店で飲みきれなった紹興酒を煽った。
夜空を見上げているうちにいつの間にか寝てしまっていたんだ。
次第にあたりが明るくなると周りに人が増えてきた。
そして屋台に群がっていく。
さほど腹は減ってなかったけど
あつあつの湯気が上がるのを見ていると・・・
なんだか食べたくなってきた
おばちゃんシュウマイと豆乳をくれ
そういっていくらかお金を渡し、屋台の席に着いた。
中国では朝あつあつの豆乳を屋台で売っている。
飲みすぎて冷えた体にはとてもそれがありがたい。
シュウマイとをほうばりながらかなり早い朝ご飯を食べた。
しばらくぼーっとしていると
宿の人が起きてきて宿を開けた
素早くその人に泊まっていて入れなかった事を告げると
すぐ部屋に案内してくれた。
そのあとは暖かいベッドと布団の中でまたゆっくりと眠りに落ちた
道端で目を覚ましたとき、
なんて朝が早いんだろう。
そう思った。
昨日は女の子を無事宿に届けてから宿に戻った。
しかし宿は閉まっていていくらドアを叩いても人はでてこない。
ならまあいいか
そう思って宿の壁にもたれながらさっきの店で飲みきれなった紹興酒を煽った。
夜空を見上げているうちにいつの間にか寝てしまっていたんだ。
次第にあたりが明るくなると周りに人が増えてきた。
そして屋台に群がっていく。
さほど腹は減ってなかったけど
あつあつの湯気が上がるのを見ていると・・・
なんだか食べたくなってきた
おばちゃんシュウマイと豆乳をくれ
そういっていくらかお金を渡し、屋台の席に着いた。
中国では朝あつあつの豆乳を屋台で売っている。
飲みすぎて冷えた体にはとてもそれがありがたい。
シュウマイとをほうばりながらかなり早い朝ご飯を食べた。
しばらくぼーっとしていると
宿の人が起きてきて宿を開けた
素早くその人に泊まっていて入れなかった事を告げると
すぐ部屋に案内してくれた。
そのあとは暖かいベッドと布団の中でまたゆっくりと眠りに落ちた
2006年06月05日
南への旅 月夜
レストランから外にでるととてもきれいな月明かりが町を照らしていた。
曲阜の町は街頭がすくなくて、
月の光が町を浮き立たせている。
いい加減に酔っ払った二人は少しふらふらしながら歩いていった。
時は五月、夜は以外に冷え込んでいたので、
寒いなぁといいながら
少し休もうということですでに閉店している店先に二人して腰かけた。
酔いの回った頭でなにかを話しながら
月夜の街を見渡すのはとてもいい気分だった
曲阜の町は街頭がすくなくて、
月の光が町を浮き立たせている。
いい加減に酔っ払った二人は少しふらふらしながら歩いていった。
時は五月、夜は以外に冷え込んでいたので、
寒いなぁといいながら
少し休もうということですでに閉店している店先に二人して腰かけた。
酔いの回った頭でなにかを話しながら
月夜の街を見渡すのはとてもいい気分だった
2006年06月03日
南への旅 酔い宵い
紹興酒はうまかった。
なんといっていいのかほのかな甘みと
食欲をそそる食材とその子と話が盛り上がり、
なんで中国に留学してきたのかとか、
なんでひとりで旅行へ行くのかとか
話は紹興酒が程よく加速させてくれた。
外は月夜
なんとも心地よい時間だった。
時間がたつのもわすれ、しばらくすごしてしていると
もう閉店の時間だよ
と店の人に告げられた
時計をみると時計の針が12時を刺していた
なんといっていいのかほのかな甘みと
食欲をそそる食材とその子と話が盛り上がり、
なんで中国に留学してきたのかとか、
なんでひとりで旅行へ行くのかとか
話は紹興酒が程よく加速させてくれた。
外は月夜
なんとも心地よい時間だった。
時間がたつのもわすれ、しばらくすごしてしていると
もう閉店の時間だよ
と店の人に告げられた
時計をみると時計の針が12時を刺していた






日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!