2005年10月05日
タージのシロ インド・アングラ-
金曜日、タージマハルはたくさんの人で賑わう。
その日はインドの宗教的な安息日であり、それに伴いこの世界遺産であるタージマハルの入園料がただになるのだ。
入園の時に身体検査を一人一人受ける、爆発物なんかを持ち込まれないためだ。だけれどもやっぱり「タダ」なのでシロのタージを一目見ようと、僕のようなバックパッカーや地元の人でごった返していた。
2005年10月05日
夜行バス
ドラム缶のような夜行バスのエンジンが止まり、乗客は静かに下り始めた。
空はうっすらと白み始めている。
同じバスにのっていた数名のバックパッカーはまだ眠りのなかだ。
自分も眠い目をこすりながら、もっと明るくなるまで待つことにした。
ここは治安が悪い、
そう聞かされている。
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空はうっすらと白み始めている。
同じバスにのっていた数名のバックパッカーはまだ眠りのなかだ。
自分も眠い目をこすりながら、もっと明るくなるまで待つことにした。
ここは治安が悪い、
そう聞かされている。
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2005年10月06日
ガンガー
多くの巡礼者が集まる聖地。
いつも川のほとりではたくさんの人が沐浴をしている。
ヒンドゥーの人らはこのバラナシで死に、灰になり、ガンジスの流れに帰っていくのが
本望といっていた。
死を迎えにここへくる人もいるという。
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いつも川のほとりではたくさんの人が沐浴をしている。
ヒンドゥーの人らはこのバラナシで死に、灰になり、ガンジスの流れに帰っていくのが
本望といっていた。
死を迎えにここへくる人もいるという。
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2005年10月07日
バラナシの情景
バラナシの町並みは狭い路地が入り組む迷路のような所だった。
気をつけないとあっという間に自分の位置を見失ってしまう。
その狭い路地にもたくさんの店が建ち並んでいて
暇を持ち余しているようなおばさんや
ガラの悪い兄ちゃんらがうろついている。
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気をつけないとあっという間に自分の位置を見失ってしまう。
その狭い路地にもたくさんの店が建ち並んでいて
暇を持ち余しているようなおばさんや
ガラの悪い兄ちゃんらがうろついている。
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2005年10月08日
移動→カルカッタ
バラナシからカルカッタへ向かう。
そこにはこの旅行の大きな目的があった。
「マザーハウス」に行こうと思っていたのだ。
バラナシの駅で切符を買って電車が来るのを待つ。
たくさんの人で駅構内はまさに足の踏み場もない状態だ。
自分も壁にもたれながら座りこみ、周りの景色を眺めていた。
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そこにはこの旅行の大きな目的があった。
「マザーハウス」に行こうと思っていたのだ。
バラナシの駅で切符を買って電車が来るのを待つ。
たくさんの人で駅構内はまさに足の踏み場もない状態だ。
自分も壁にもたれながら座りこみ、周りの景色を眺めていた。
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2005年10月09日
カルカッタ
バラナシから夜行列車に乗り、やっとカルカッタにやってきた。
ここに来る途中へこむことがあったが
とりあえず駅につくと警察署で証明書を発行してもらった。
(しかしあとで保険が携帯品にかかってない事を知りさらにへこむ。)
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ここに来る途中へこむことがあったが
とりあえず駅につくと警察署で証明書を発行してもらった。
(しかしあとで保険が携帯品にかかってない事を知りさらにへこむ。)
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2005年10月10日
マザーハウス
朝6時に起きてまずマザーハウスと呼ばれる施設に連れて行ってもらった。
サダルストリートから歩いて10分もかからないだろう、
途中イスラム教徒が住む一帯を通り抜けると、
路地裏の小さな教会。
そこが「マザーハウス」と呼ばれる所だった。
そこにマザーは眠っている。
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サダルストリートから歩いて10分もかからないだろう、
途中イスラム教徒が住む一帯を通り抜けると、
路地裏の小さな教会。
そこが「マザーハウス」と呼ばれる所だった。
そこにマザーは眠っている。
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2005年10月11日
死を待つ人の家(カリーガート)
中に入ると男女に分かれたブロックがある、
男は男の人の世話を女は女の人の世話をする事になった。
初めてボランティアに来た人の仕事は大体決まっていて
まず食事の配布、
自分では食べれない人に食べさせてあげたりする。
そして食器の洗浄。
次に衣服の洗濯、みなでベットの布や洋服をまとめて一つ一つ洗っていく。
もちろん洗濯機などありはしない。
全て手作業だ。
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男は男の人の世話を女は女の人の世話をする事になった。
初めてボランティアに来た人の仕事は大体決まっていて
まず食事の配布、
自分では食べれない人に食べさせてあげたりする。
そして食器の洗浄。
次に衣服の洗濯、みなでベットの布や洋服をまとめて一つ一つ洗っていく。
もちろん洗濯機などありはしない。
全て手作業だ。
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2005年10月12日
2005年10月13日
孤児院
ボランティアするのも色々な施設がある事は先にも述べたが、
自分は基本的に子供が苦手ではないので孤児院に行くことにした。
そこのボランティアの人は極端に少なくてその日自分を含めてわずか3人だった。
一人はドイツから来ている19歳の女の子,
もう一人はもう3ヶ月以上そこに通っているという日本人の男の人だった。
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自分は基本的に子供が苦手ではないので孤児院に行くことにした。
そこのボランティアの人は極端に少なくてその日自分を含めてわずか3人だった。
一人はドイツから来ている19歳の女の子,
もう一人はもう3ヶ月以上そこに通っているという日本人の男の人だった。
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2005年10月14日
デリーの安宿街 インド・ニューデリー
ニューデリー駅の前、そこに縦長い道があってそこ周辺は安宿がたくさん軒を連ねていた。
雑踏の中を物売りやバックパッカーたちがせわしく動きオートリキシャがけたたましく通り過ぎる。市場ののうな活気、夏のむしむしした暑さ。
ここは旅行者づれした地元の人が僕ら旅行者からお金をいくらふんだくろうか目を光らせているところでもあった。
2005年10月15日
タージのシロ
金曜日、タージマハルはたくさんの人で賑わう。
その日はインドの宗教的な安息日であり、
それに伴いこの世界遺産であるタージマハルの入園料がただになるのだ。
入園の時に身体検査を一人一人受ける、爆発物なんかを持ち込まれないためだ。
だけれどもやっぱり「タダ」なのでシロのタージを一目見ようと、
僕のようなバックパッカーや地元の人でごった返していた
2005年10月16日
2005年10月17日
アムリサルトル インド・アムリサルトル
インド人といえばターバンを思い出す人が多いのではないだろうか??しかし実はインドでは一部の人しかターバンを巻いていない、これは実は宗教の違いがあるのだ。
一般にターバンを巻く人々を「シーク」とよぶ。僕が知り合った何人かのシークはみな温和で気さくだった。ヒンドゥー教の人とはどこか違う印象を受けたのだ。
そんなかれらの多くは[印橋]とよばれ、たくさんの人が海外に進出している、そのため「インド人はターバン」と印象付けられたのだろう。
そしてここアムリサルトルは彼らシークの聖地である。
2005年10月18日
シークの聖地 インド・アムリサルトル
この神殿はシークの聖地である。そこにはたくさんのシークたちがいた。彼らは特に異教徒だから外国人を締め出すって訳でもなく、逆にわれわれバックパッカーのために泊まるスペースを提供してくれるぐらいいい人たちだった。
この神殿内の湖で人々は沐浴し、中央金色の神殿へ祈りをささげる。たまに水面へ「ぬぽ~」っとでてくるでかいなまずが面白かった。
中央の神殿の中では神官が音楽のような独自の詠唱をライブで流していた。それはどこか懐かしい響きのあるおとで朝から晩まで日っきりナシに聞こえてくる。
その詠唱を聴くとどこか落ち着くのだ。
2006年02月26日
タージマハル 地図
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タージ・マハル(Taj Mahal ताज महल تاج محل)は、インド北部アーグラーにある総大理石造の墓廟建築。1632年着工、1653年竣工。1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれているインド=イスラーム文化の代表的建築。シャー・ジャハーンが、愛妃ムムターズ・マハルの死(1630年)を悼んで建設したとされる逸話は有名。
名前の由来はよくわかっていないが、王妃の名ムムターズ・マハルを縮めたものではないかという説が有力である。因みにムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーガムという。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。
引用:タージ・マハル - Wikipedia







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