2005年11月18日
スウェーデンから船で ポーランド・グダンスク
夜が明けて甲板に上がるともう陸地が見えていた。そこがヨーロッパ。ポーランドのグダンスクまでもうわずかだ。吹き付ける潮風が寝ぼけ感覚に心地よい。
やがて港町が見えてくる頃、乗客は荷物をまとめ始める。自分も大きなバックパックとギターを携えて出口へと向かった。船の中の免税店で買い込んだのか小太りのおばちゃんが大きな袋を両手いっぱいに階段を下りていく。搭乗口、自分ひとりがアジア人だった。周りが白人の中で妙な違和感を感じながらも、新しい国へ入るという高揚感があった。むしろ白人の中だからこそヨーロッパへ来たという実感が大きくなったのかもしれない。
2005年11月19日
ドイツ騎士団跡地 ポーランド・ トルン
ポーランドに入ってからワルシャワへ行く途中にトルンという町に寄った。ここの町の旧市街が丸ごと世界遺産に登録されているという情報があったので寄る事にしたのだ。
さすが世界遺産といわれるだけあって歴史を感じさせる静かな町並に、ダークな雰囲気の曇り空がよく似合っていた。
自分はこの町のユースに滞在していたのだが、一度そこの玄関近くで本を読んでると訳のわからんポーランド人の兄ちゃんにからまれた事が会った。
なんだかんだ訳のわからない話をしていると{ギブミー モニー」とか言いながらシンナーを吸い始めやがッた。(マニーだろ!)と突っ込みたかったが「モニーって何だ?」とシラを切って話していた。
しつこいので英語で適当にまくし立てて(彼は英語がほとんど出来なかった。)そこを離れた。嫌な出会いだ。
2005年11月20日
ワルシャワ ポーランド・ワルシャワ
ポーランドの首都ワルシャワ、ここはヨーロッパの中で治安が悪いと評判のところである。とにかく外国人を狙った犯罪が多い。元社会主義国家であったためかやはりどことなくロシアの暗い雰囲気があった。
そんな中自分ものんきに観光をしていたのだったが、トラム(路面電車)に乗っているときに事件は起こった。僕がトラムの昇降口の前で少しくたびれた表情をしていると、僕の両隣のグラサンをかけたごついにぃちゃん達が「~~~ヤポーニカ~~」とか話しているのが耳に入ってきた。「はいはい、ぼかぁヤポーニカ(日本人)ですよ。」と思っていると、突然右のやつが僕のズボンのポケットに上着をかぶせてからゴソゴソと探り始めやがった。
「おい!」って言ってすぐに手を払って「何すんだよ!」ってにらむ。とちょうどその時停留所にトラムが止まり、人がどかどかと降り始めた。「警察呼ぶぞ!」と言おうとした瞬間に左にいた男に後ろから蹴られ、自分はトラムの外にバランスを崩すように飛び出した。外で親指を逆さにして「ファックユー!」とやせ我慢しながらそいつらに向かって言ったがトラムのドアは閉まりそいつらを乗せてどこかへ行ってしまった。
こんなことに逢うとはとかなりドキドキしていた。でも被害がなくてホントにほっとした。本当に治安が悪いところだ。
でも後で、スペイン人が数人に羽交い絞めにされて身包みはがされた事を聞いた時はとても人事の様にはおもえなかた。
2005年11月21日
地下道の子供 ポーランド・ クラフク
クラフクの駅の近くで子供がプラカードを持って路上に座り込んでいた。もちろん何が書いてあるかは皆目見当もつかない。ただマリア様の絵が添えつけられていたので何か教会関係のなのかなぁとしか推測できなかった。
この子の前にある小さなコップに少しお金を入れて写真とっていいか?とカメラを向ける。恥ずかしかったのか顔を隠してしまった。しかたないのでそのままシャッターを切る。
そしたら「なにすんの!!」といった感じで若い女の人が出てきた。多分おかぁさんなんだろう。「俺は日本人で写真を撮っていたのだ」と説明すると「私もとって」と言い出した。しょうがないからとってあげると「欲しい」という。でアドレスをもらい送ると約束した。
日本に帰ってからもらったアドレスに送ったのだが果たしてちゃんと届いただろうか。
2005年11月22日
アウシュビッツ ポーランド・アウシュビッツ
ポーランドにアウシュビッツがあると言う事を聞いて是非ここは訪れなくてはと思った。平和がどうのとかおこがましい事は言うつもりはないが人間がやった事として一度は見なくてはいけないような気がした。
人間が人間をいとも簡単に管理・搾取・虐殺しててきた事実を。
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2005年11月23日
子供達の遺品 ポーランド・アウシュビッツ
様々な遺品が安置されていた。洋服・靴・日常品・・・。どれも見ているだけでどす黒い気分になってくる。
小さな子供達はいかにして生きいかにして死んでしまったのだろうか。身元確認写真に写されたそのあどけない少年少女たちはここで一体何をみたのだろう。
2005年11月24日
列 ポーランド・アウシュビッツ
隊列をなした服だけの行進はどれもが猫背でうつむき悲しいぐらいくたびれている。
ここの部屋いっぱいに並べられた写真と服たちは今も当時の状況をありありと伝えてくれているのではないだろうか。
ナチスがやったことは一体なんだったんだろう。
2005年11月25日
たんぽぽ ポーランド・アウシュビッツ
ダークになった気分を外で見つけた一輪のたんぽぽが慰めてくれた。
少し息抜きをしなくてはやっていられない。
一部屋いっぱいに積まれた人の髪の毛や銃殺が行われた場所。
どれも写真に収めたがとても公開できる代物じゃない。
だが年月は移り変わり、かつて悲惨なことが逢ったこの場所で、
変わらず白い種をまこうとしている姿が心にしみた。
2005年11月26日
ビルケナウ
ビルケナウ、アウシュビッツの何倍もの敷地の収容所だ。
とてつもなく広い。
アウシュビッツで何十万という人が殺されたといっても
向こうの広さではピンと来ない。
だが、
ここの広さを見てしまったらもう納得するしかない。
ここまで大きなものを見たのはカンボジアのアンコールワット以来だ。
凄惨な場所である。
イスラエルから来た修学旅行の生徒らしい少年少女が
ユダヤの旗をマントのように羽織り歩いていた。
印象的なシーンだった。
そして他人が勝手に触れてはいけない事がそこにあった。
彼らの祖父らがここでなくなったかもしれないのだ。
そう思うと、とてもシャッターは切れなかった。











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